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boundary がないというと、自己がない、他と一体化しているということになりませんか。それは有り得ないと思います。
トピ主さんも、自分への手紙は親が読んではいけないというboundary を自分で心の中で持っていましたが、トピ主さんの親が考える子供のboundary とずれていたということではないですか?
会社では、各社員のboundariesを明確に規定しています。それを皆が守ることで会社が機能します。家庭でboundaries を規定することはしませんが、大抵は親が定めたルールや暗黙の了解があると思います。その了解が互いにできていない場合はトピ主さんのように親と大喧嘩することとなります。
私の子供時代のboundary としては、遊びに行く場所、帰宅時間、テレビ番組、お小遣いなどが、親から「子供はここまで」と決められて、自分自身も大体は納得していたと思います。日記や個人的な手紙は中学ごろからは親には決して見せませんでしたが、親も見ようとはしませんでした。
今は、親とは「相手への尊重」を前提にboundary を作っています。生活の仕方やお金の使い方などに互いに余計な口出しはしません。もちろん相談にのったりはします。良い親だとつくづく思います。
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