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トピ主さんの思考は平均的というか典型的な日本人の考えだと思います。
日本人というよりは単一の言語しかない国の人の思考。
私は大学時代に留学生の世話をする部署でアルバイトしていたのですけど、単一言語で統一されている国と国内が多言語で形成されている国の出身者では言葉に対する考えが全く違うと経験しました。
単一言語の国で育った人は同じ国民同士で母国語同士で話すことにものすごく抵抗や違和感を感じます。どうしても「同じ何々人同士なのに何々語で話さないとおかしい」みたいな考えがあるんですよね。
その考えは強すぎて環境や事情によって影響を受けることも柔軟になることもないことも多いです。
少し前にぱたでも「会話の輪の中で他の人たちは全く日本語が分からないのに日本語でしか話しかけてこない日本人がいて困る」という相談で「それの何が悪いの?」ってレスのほうがずっと多かったですね。
多言語の国出身の人は間逆です。言語は「共通に通じる言葉があればそれを使う」という環境が基本なので例えば地元の人同士地元の言語で話していても他の地域や国の人が入れば一瞬で他の言葉に切り替えます。例えばジャワ語で話している輪の中にバリの人が入ればすっとインドネシア語に変わる、さらに日本人が加わればぱっと全員英語になる、とか。またたとえ共通の母国語があっても英語で話しかけられたら何の疑問も持たずに英語で返してます。
これが日本人とか中国人やスペイン語圏の国など単一言語の国だと言葉が分からない人が入ってきても合わせることは稀だし、ぱたのトピのように外国語で話している輪の中でもその中の日本人に話しかけるときは日本語で問題ないでしょみたいな。英語で話しかけられたら「何でわざわざ英語?話せるでしょ自慢?アメリカかぶれ?」とか思われたり。
基本はそういう疑問はもたずに単純に相手が話しかけてきた言葉で対応すればよいと思います。
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