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▼キャンペーンさん:
会いに行きませんでした。お葬式にも行きませんでした。仕事も休めませんでしたが、行くつもりもありませんでした。
育ててもらったわけですから、あの人がいなかったら生きていなかった、というのも本当でしょう。
これでもう、あの人は私を傷つけない、あの人に殴られる事はない、言葉で傷つけられても、本当は仲が良い娘にきつい言葉で冗談を言っている、とか、娘の為を思って、怒鳴っている、とか思い込んでいるふりをしなくてもいい。解放です。
心の中で、冥福を祈れます。人に傷付けられた時、何か嫌な事があった時、あの人に同じ事をされた、とかまさかあの人が、とか不意に襲ってくる感情から解放されました。
口に出さなくていい、恨み事を言う必要もなくなりました。毒親なんて言ったら申し訳ないとさえ思ってます。もともと血のつながりはありませんが、ずっとそれを知りませんでしたから、何か私に問題があるのだとばかり思っていました。育てたくもない子供を育てるのはもう、あの人は死んだので、後悔する必要がありませんし、他の人から聞かれても、嘘ではなく、感謝の気持ちを言えるのが本当に心の救いです。
なんていうのでしょう。もちろん亡くなった事を喜んではいないです。あの人の死を敬虔に受け止めています。ただ受けとめ方として、あの人が死んだという事実を、手をにぎって声をかける、とかあの人の親戚とお葬式で送る、とか、ではなかっただけです。一人で旅立っていくあの人を遠くから見送って、恩讐を超えた気持ちで、心の中で見送りました。というのが正直な気持ちです。一番近いのが、「自分自身で自分をがんじがらめにした事からの解放」でしょうか。勿論解放するのは自分なので、理屈では、相手が亡くならなくても、あるいは普通に付き合っていても、あるいは一緒に住んでいてもできる事かもしれません。ただ、一番苦しまない形でそれが訪れました。それが相手の死だった、と思います。残りの人生を自分の人生に感謝して過ごしていきます。もう、日本に行く事はないでしょう。
>生前は毒親と思っていた親を亡くされた方は、亡くされ後はどのような気持ちですか?
>何か後悔することがあったとしたらなんですか?
>謝りたいこと、感謝を伝えたいことが亡くされたあとにありますか?
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